どんな人?

1946年( 昭和21年)京都に生まれる。
父親の姓は岩田、母親の姓は山名です。2つの姓を使います。
岩田 年浩
岩田一族は江戸・明治・大正・昭和・平成と時空を越えて、京都市を拠点に日本を中心とした東アジアで商工業の世界で卓越した成果をあげてきました。明治後半から大正時代にかけて、一族を導いた岩田幸七氏(年浩の祖父)は琺瑯釉薬の発明と特許をとり、当時三都の一つ京都の商議所(現在の京都商工会議所)の常議員を長年つとめ京都の商工業の発展に尽くしてきました。特に、現在の大同生命の母体となった真宗生命を立ち上げ、大正10年大同生命の監査役をつとめた(岩田幸七)ことでも知られています。また、西本願寺の全国門徒総代として宗門の財務に力を尽くしました。これらの伝統を科学技術の分野で生かさんとするのが私たち後裔が目指すところです。 従姉の夫は桃井直幹軍医中将(御前会議に列席)、従姉の嫁ぎ先は京焼「和楽」(東郷平八郎元帥の命名)経営。又、能の波多野家は遠縁関係にある。
山名 年浩
ここで、山名一族は中世より内訌の激しかった中で、新田義範公(後、山名義範公)を祖とし、足利尊氏の西征に従った山名時氏公が戦上手だったのがきっかけで、大きく飛躍しました。その後、持豊(宗全)公の時期に隆盛になりました。備後を拠点として続く(長男筋の)広島の山名を本貫とし、近世には医師(御殿医)として、また安芸備後で中国山地でのタタラ製鉄で生産した鉄を商品として瀬戸内海航路を使って大坂との取引を行っていました。現在もこの地との関わりは深いです。
この2つの流れを背負うことは私にはまことに荷が勝つのですが、これも役目と考え、非力を省みず研鑽を続けています。
山名=岩田年浩氏のアクティブな活動を見よ
応援団一同より
氏(兵庫県立神戸商科大学博士〈経済学))は、昭和21年1月14日に京都市に生まれ、昭和45年⒊月に京都教育大学教育学部を卒業し、昭和49年⒊月に大阪教育大学大学院教育学研究科修士課程を修了し、昭和52年⒊月に兵庫県立神戸商科大学(現兵庫県立大学)大学院経済学研究科修士課程を修了し、昭和55年⒊月に同博士課程を単位修得後退学されました。昭和55年4月に大阪経済法科大学経済学部に専任講師として着任し、昭和58年4月に大阪教育大学教育学部に専任講師として勤務されました。そして、昭和61年4月に同大学助教授に就任されました。また、平成6年4月から平成23年3月まで関西大学総合情報学部の教授として専門分野の研究と教育に注力されてこられました。さらに、平成24年4月からの京都経済短期大学では学長兼京都明徳学園理事として、定員割れの続く同短期大学に定員を大きく上回る受験生を迎える成果を上げ、定員増が文部科学省より認められる素地を作られました。
氏の専門領域は理論経済学と経済学教育論で、各大学での研究成果をまとめられ、平成9年10月に、「経済学教育論の研究」で神戸商科大において博士(経済学)の学位を取得された。この論考は経済学と教育学が没交渉の関係が続いてきたわが国で、これら2つの分野の学際的な研究成果を上げ、アメリカをはじめとする先進諸国での理論面や実践面での状況を紹介し、経済教育のあるべき姿を論じられており高い学問的価値を評価された。
氏の研究業績は、著書として単著11冊と分担執筆11冊、学術論文94編、その他の著述物84編、翻訳書2編となっております(別紙「研究業績一覧」にて詳述)。
日本の経済学教育学会では11回にわたって研究報告をされた。また、同学会の論集レフェリーも務められた。理論・計量経済学会と経済理論学会での発表は各2回、経済学関係の諸学会での発表は15回されている。関連して、日本の経済学教育学会の会長を平成20~23年度つとめられた。また、経済教育の分野がわが国では未開拓分野であるため、その先駆的業績を求めて、他大学の研究者から経済学分野や学校教育学の分野で数多く引用されてきた。
教育分野の業績として授業の実践を重視されてきたため、いずれの勤務先でもゼミナールへの希望する学生が定員を大きく上回ってきました。それは難解な経済理論や経済事象の内容を理解しやすくする工夫(テーマ・例示・発問・まとめ方において等)をなされてきたからに他ならなりません。ともすれば、教育を軽視しがちな日本の大学の状況に一石を投じたものとなっています。平成18年11月には、国立教育政策研究所より学校教育における教育課程実施状況調査を委嘱され、作業に協力している。
他方、学外の研究・教育活動としては、平成8年~同20年広島大学高等教育研究開発センターの客員研究員をつとめられた。また、昭和64年に立命館大学経済学部・昭和65年に京都短期大学(現福知山公立大学)・平成18年に金沢大学経済学部、平成24年に兵庫県立大学大学院経済学研究科で非常勤講師を歴任された。また、平成13年には静岡大学人文社会学部経済学科で外部評価委員をつとめられた。平成15年以降は経済教育学会で論集のレフェリーをつとめられ現在に至っている。平成18年には経済理論学会の論集レフェリーを務められた。さらに、京都経済短期大学学長在任中は京滋地区私立短期大学協会副会長・近畿私立短期大学連合会の理事を務められた。
海外の大学では、1986年にインディアナ・パデュー大学教育学部で「生徒の発達段階と経済学の教材」について講義、1987年にアメリカのテネシー大学チャタヌガ校で「経済教育について」講義、1988年にオーストラリア、ニューサウスウェルズ大学で「経済理論の教育」について研究報告。1988年に安徽財貿大学で「日本と中国のビジネス体質の比較」について講義。1996年、ロシアのイルクーツク国立経済アカデミーで「戦後日本社会の変化」についてのシンポジウムで報告、2004年に中国三大区(中南・西南・西北)外国経済学説研討会で「中国と日本の経済構造の違い」について報告。2007年に中国清華大学経済中心で「日本企業のビジネスと中国企業のビジネス」について研究報告。2018年に中国海南島での第1回中国経済教育学会で「日本の経済教育の発展」について研究報告された。
学外での経済分野の啓蒙活動としては、茨木市生涯学習センター講師を平成4年度以後31年間継続中であり、宝塚市生涯学習センター講師は平成8年~同22年まで、守口市生涯学習センターで平成21年~平成30年、他に八尾市の生涯学習センター、京都府亀岡市の生涯学習センター等で講師を務められた。消費者の啓蒙の分野では、大阪府の消費者協会、茨木市の消費者協会、堺市の消費者協会で講師を務められた。全国の商工会議所等での講演(市民大学を除く)は645 回、日本の新聞への掲載 46紙、中国の新聞への掲載2紙、日本の経済関係雑誌への掲載8誌、中国の経済関係雑誌への掲載1誌などとなっている。
また、NHKテレビ「世の中なんでも経済学」の番組委員を平成13~15年、ラジオ大阪番組審議会委員を平成4年~6年、大阪府行政書士会の顧問を平成5年~15年、摂津市商工会の参与を務め務め、市民・国民をはじめ専門家に向けて経済知識の啓蒙に努められた。、他、NHK地元摂津市では、障碍者団体「光摂会」の理事を平成23年から令和3年の間勤め、地元PTAでは市立柳田小学校(現三宅柳田小学校)のPTA会長を昭和62年から5年間、柳田自治会の会長を平成3年から5年間 つとめた。これによって、住民の子育てや地域の課題を明らかにし、市民の生活と教育に尽力された。
ほか、小学生時代以来作文や読書感想文で各賞を受けてきた、文才を生かし、平成22年、小説『キャンパスの追憶』(学文社)を出版された。
以上のように、氏の研究・教育・社会活動の業績はまことに顕著であります。実際の経済・経営や地域と全国の経営の実際から学び、アメリカの教育を積極的に摂取し、それを全国に返していかれた。経済学や経済教育の理論と実践を結んで研究されてきました。